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西村社長のコラム100
Angelo's BLOG

 

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単一民族だからとか、島国だからとか、300年の鎖国時代に性格が形づくられたとか言われるが、恐らくそれら全ても理由の一つだろう。 外国のブティックで日本人が多く購入するからとそれと同じ品揃えを日本のブティックでしても大して販売できないこともある。 外国旅行中に絶対に日本では選ばない柄のネクタイを選んでしまい,帰国後も結局殆どしないまま人にあげたり、処分してしまったという経験の人も多いのではないだろうか?これらは旅行先とホームタウンでは選ぶ基準が違うという欧米人には決して理解できない事の一つかもしれない。 きっと日本人本人たちにも何故考え方が欧米人と違うのかが判らないのでは無いかと思う。 フランスの人がイタリアに旅行しても、普段の生活の延長に過ぎないが、日本人が欧米に行くことは、意識するしないに拘わらず、まだ大きな心構えをもってしなくてはならない行動なのかもしれない。  

数多くの欧米のメーカーの様に、パテック・フィリップ社も自分の支社をPPJとして立ち上げる事になる。 世の中の流れの中で致し方ない部分はあるにしても、正直いって日本で無名の時代から育てたという事もあり残念な気持ちがあったことは確かだろう。 ただ、我々は他のブランドの代理店からジャパンへの移行と明らかに違うところが有った。普通は代理店業務の終了=そのブランドとの拘わりが無くなる事を意味するが、我々はパテック・フィリップの販売拠点を幾つかの百貨店でテナントとして持ち、代理店では無くなるものの、販売店としてそのまま販売は続けていくということであった。 現在庫は当然新しく仕入る商品よりも遥かに利益率が高い訳だが、利益率はあくまで売れて初めて発生する利益で有り、販売できなければいくら利益率が高くても絵に描いた餅であり、現在庫には明らかに売りにくい商品も相当数含まれていた。

パテック・フィリップを代理店として扱っている頃は、パテックとショパールは柱としての二ブランドであり、それにロレックス等の卸業務と百貨店でのテナントとしての日本での仕入ブランドが合わさり、丁度良いバランスで販売は推移していた。 ところがパテックの売上が何分の一かに減少して、利益額は更に減少してしまうことから、自ずからショパールへ注力していく事になる。 幸い、ショパールの売上が順調に伸びていた時期で、パテックのマイナス分を十分カバー出来る試算も出来ていたので、上手くこの難局はしのぐことが出来た。 ただ、この頃は各ブランド共、百貨店等のショップで展開する為に、必ずある程度の売り場面積、ブランドの指定する方法での売場作り、相当数の在庫の負担など、相当厳しい要求をのむ必要があり、扱い全てのブランドの要求をそのままのんでいると、売場面積が倍以上必要になる為、その調整が大変であった。  

バブル経済の破綻後、日本全体の経済は停滞し、物は売れなく
なり、株価も低迷を続けていたが、何故か高級時計、特に複雑
系の時計は品物が常時不足する状態が続き、業界では「時計バ
ブル」と呼ばれた。一般バブルの教訓から売れていると言って
もいつまたバブルの崩壊があるか判らないことや、複雑系の時
計はメーカーもデリバリーに時間が掛かるので、積極的な仕入
が余り出来ない事で余計品薄感があり、それがまたバブルを
煽るという流れだったのではないだろうか。 同じ高級時計でも宝飾を中心とするものより、機械時計が好まれ、ある高級時計メーカーでは、購入後6ヶ月以内にオークション等で転売したことが判った場合、そのユーザーはブラックリストに入り、今後の注文は基本的にお断りするという手段まで取られた。

 


この時計バブル期はちょっと尋常ではないが、それまでも、時計の売上は平成当初の一般バブル崩壊後も比較的順調に推移してきていた。 日本という国は400兆円を超える個人預金の残高が有り、高級時計がそこそこ良く動き、バブルが終わっても売れている事から、メーカーは日本市場のポテンシャルを過大評価していた部分があった。 何故なら、一部の例外は除き、時計は売れていたのでは無く、売っていたのである。前にも書いたように輸入代理店や百貨店、専門店は、販売する為に年間数百回の展示会やイベント、旅行等を用意し、多大の経費をかけ、顧客の家に持ち回り販売をし、やっとの思いで販売をしていたのである。 しかしながら殆どの場合メーカーの輸出実績の数字で全て判断されてしまう事から、輸出実績が多い=売れている市場という公式が出来上がってしまう。  

欧米では顧客が店に来ることが前提で有り、その為に如何に綺麗に、立派に店作りするかが、メーカーにとって一番の関心事であろう。来店した顧客に対してトレーニングされ,専門知識も豊富な販売員が上手い説明と話術で顧客をその気にさせ販売に結びつける事が普通である。 しかし、日本ではそもそも欧米と比べ顧客の来店機会が少ないのだが、その事はメーカーにとっては店作りがヘタなだけとしか映らないし、店舗以外での販売の量が多いことは、販売方法が間違っているとしか映らないようだ。百貨店での売上が減少し、専門店での売上が増えるにつれ、現在では以前と比べると大分欧米化してきてはいるが、それでも高級時計の百貨店の店舗外での販売量は非常に多く、店舗での展開は顧客の安心感の為、販売は外でという意識もまだまだ多かった。

各メーカーは自分たちの特色の出たショップ展開を望み、ディスプレイ、家具、売場での位置、展示の仕方、品揃え等相当細かく指定がある。 例えばディスプレイの仕方が決められたマニュアルと違うと、指摘をされ、それを直す事になる。それが普通と思って直していたが、どうやら普通と思っていたのは我々日本人だけで、欧米だけで無く、中国、韓国等の東アジアの他の国々も、メーカーから指摘をされると、「判った、直ぐ直すよ」と返事はするものの、殆ど手を付けず、自分たちが厭でなければ、そのまま放ったらかしになる事が多いらしい。 確かに、出張先で同じブランドを展開している店を訪ねても、平気で違うブランドのディスプレイにそのブランドを飾ったり、時計と別ブランドのデザインも合わない宝飾を一緒にディスプレイするなど、直営ブティック以外は、どう見ても我々が言われるより酷い状態の陳列を頻繁に目にした。 日本人は大人しく、言うことを聞くので余計指摘をするのだろう。

ある時に、メーカーが確か東欧のモデルを宣伝写真にワールドワイドで統一的に使う事を決めた。そのモデルはヨーロッパでは非常に有名なモデルだったのだが、日本では無名だった上に、もの凄く見た目がきついタイプで、日本人が好まないタイプであったのは明らかであったが、ワールドワイドならしょうが無いと、大人しく文句を言わずに従った。ところが、宣伝写真を見てびっくりしたのは、中国向けだけ日本でも人気のあるツァン・ツィーに変わっていた。 中国人も同じ考えで、彼らも決して好まないタイプだったのだが、大人しい日本人と違い、相当執拗に申し入れ、無理矢理変えさせたそうだった。 それを聞いて、日本もツァン・ツィーに変えるように要請したら、中国だけの契約で安く納めたので、日本には使えないと断られた。 日本人は主張をしなさすぎるのだろうと反省した。

時計に限らず、物を輸入しようと思うと、必ずその間に為替の問題が発生する。 為替が大きく円高に変化した年は、前年と比べメーカーからのスイスフラン建ての輸出額は増えているのに、日本の企業が円で支払った金額は減っている。 メーカーは自分たちの輸出額でしか判断しないので、日本での円貨の取り入れ額が減っていてもスイスフランで増えていたらハッピーだ。 逆に円安で日本は昨年よりずっと多くの円決済をしているのに、スイスフラン建てだと減っているので、それを問題視して対前年マイナスとか工場出荷の中で日本の割合が減って順位が下がったと言われる。 商品の単価がほぼ同一のブランドだと、本数で数えればいいのだが、数十万円もあれば数千万円もあるブランドだと、金額で考えざるを得ない。 メーカーが本当に気にしなくてはならないのは、最終消費者にどれだけ販売されたか?次に流通にどれだけ買ってもらったか?だと思うのだが、判断の基準はやはり工場出荷額であるようだ。

特に価格の高いブランドの代理店をしていると、とても自己資金だけで商品を購入するのは無理なので、銀行から借り入れをする事になる。 実際、借入額とほぼ等しい量が在庫の購入に充てられ、展示会等の貸出、スムーズなデリバーリーを考えると、回転率からはとても分析しづらい程の商品を在庫せざるを得なくなる。 それでも消費税前なら,粗利もそこそこ高かったので、交差比率で考えると低い回転率をカバーしている面もあったのだが、消費税導入後は定価を落とさざるを得なくなったことから利益率も下がり、ごく一部のブランドを除き、相当効率の悪い状態になっていった。 時計そのものが売れる状態の時は、お金そのものも動いているので、それ程目立たないが、販売力が落ちてくると,途端に在庫過多が目立ってくる。